徒然日記

ふと感じた四季折々のこと、本のこと、街のこと

ラジオのように語りかけてくる小説家

「職業としての小説家」
書店に行くと見かける村上春樹のエッセイ本、
ファンの方はもちろん読んでいるでしょうし、
村上春樹の小説に苦手意識がある人でも共感するポイントがあると思いました。



ラジオのように語りかけてくる文章が、
読者と近い距離にいる存在のように思えました。

「僕は好きなようにかくから、君だって好きなように読んでいい」
作品を読み終えるとなぞが多い点や疑問をもってしまう作品ですが、
エッセイ本を読んで、小説を読んでみようかな!そんな気持ちになるのではないかと思います。




私と村上春樹の出会い、英文学の授業の課題で出されたプリントでした。
初めて読んだ作品が「1Q84」、しかも英文訳でかかれていたもの。
課されたプリントには、作品名、作者が記載されてなく
要点をまとめて読んでくるようとのことだったので、
さっくりと目を通していました。
冒頭の部分から、読んでいてとても不思議な感覚をもちました。
青豆という女性が主人公で、
どんな状況でこのタクシーの中にいて、どんな職業の人なのか、ヤナチックのシンフォニエッタって誰の曲?
いつの時代?
そんなことを考えながら、読み進んでいくと、
先のことを読みたい!


でもこれ誰の作品??


課題のプリントは、小説の一章の一節だけだったので、
そわそわした感情と読み進めたい気持ちで一杯でした。




翌週、隣の席の友人が、
「1Q84」に出てくる物語に似てる、てか多分そうだよ。と話しかけてきた。


え、あの村上春樹という人の作品!!?


運よくシリーズ作品を全巻持っていたので、翌日その子の教室まで借りに走って
そして1週間で読みきった記憶…


他の代表作も読んでみたい、
少しずづ村上ワールドの冒険が始まって、
わからない、疑問にのこる部分もある。
でもそれが面白いのかもしれない。
そう思いながら読んでいて、英文学演習を受けなければ、
村上春樹の作品、文学の面白さについて気づけなかったかもしれません。




「職業としての小説家」
小説家として歩いて行く人のマインドを少し覗けたと思います。

小説は誰でもかけてしまうかもしれない、
けれどリングというフィールドに残っていく人ってほんのわずかであって、
最後には創造と表現することに苦を感じない人、そして読者を理解できるかで、
書き続けていけるのではないのでしょうか。



どんな人でもペンと紙、想像力があれば小説は書くことができる。
小説というのは、だれでも気が向けば簡単に参入できるプロレスリングのようなものと書かれていました。
小説の世界に踏み込んだ瞬間、プロレスリングという舞台に立ち、
ありふれる小説家と戦い続けなければなならないものなのだと。




文才のある人なら作品をさくっとかけたとしても、
次のフィールドでは戦えずに消えていってしまう厳しい世界であることがわかります。
小説家なら次の作品を書き続けなければならない、泥臭い作業であるからこそ、
書き続けることができなければ、プロレスリングというフィールドからすぐ降りてしまう作家もいる。
役者や歌手、芸能というアーティストの世界で、戦っていくことは小説家も同じ。




米文学の翻訳もこなしている作品では、難しい日本語を使わず少ない言葉で書かれているから読みやすく、
chather in the rye やグレート・ギャッツビーなどの作品がありますよね。
専門作家以外(翻訳やノンフィクション作家)の仕事をすることに、
冷たい目であしらわれ、抵抗を受けてしまうのが小説家だそうです。
しかし、今でも多くの人に読まれる作品を残しているのは、村上春樹の性格、
物事を受け入れる心の広さ寛容性があってこそなのかと思うんです。





小説だけにかぎらず、
◯◯になった!◯◯を創った!で終わらせるではなく、
自分は一体、社会にどんな価値を提供しているのか、そこが大事になってくると思います。
必要としているお客さん、ファンを念頭において考える。
あとから本当の自分自身の肩書きというものはついてくるものなんだろうなぁ。



人生の生き方について考えさせてくれる作品でもあると思います。









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◎好きな作品


村上春樹のデビュー冊、
風の歌を聴け
”完璧な文章などと”いったものは存在しない。完璧な絕望が存在しないようにね。”


という冒頭から物語は始まるんですが、
70年代の作品であり、読んでいる文章からなぜだか、古めかしく、感傷的な気分になる作品です・



主人公「僕」が文章を書くことに絕望を感じてはいたものの、
文章の多くをデレク・ハートフィールドという作家に学んだことを語っており、
村上春樹自身にも影響を与えた方なのではないかと思った。




そして物語には、登場人物の名前がないことにも面白みを感じます。
主人公の僕、親友の鼠、ジェイズ・バーを経営するジェイ、
小指がない女の子、30歳くらいのファッションデザイナー
そして音楽が取り上げられていても、作曲家の名前が存在しない、名前を付けて語ろうとはしないんです。


村上春樹の作品にでてくる登場人物には、名前がなかったり、
名前があってもちょっと変わった名前の人物だったような気がします。
名前をつけないことは、村上春樹ワールドに入ってしまう一つのポイントになるのではないかなと。
あとは、名前を付けてしまうことで他人なってしまうということをどこかで読んだことがあるので、
独自の世界観を生み続けるのも、登場人物の設定が重要になってくるのではないでしょうか。




物語を読んでいる中で、
主人公の友人「鼠」が、主人公を動かしていたのかと、
読んでいく内に、点と点が結びつくような感覚になりました。


”みんなの楽しい合言葉は、
「MIC KEY MOUSE」”




どんな構成をたててアイディアが思いついて、”風の歌を聴け”を書き始めたのか......
と考えてしまうくらいほろ苦く青春なストーリーであります◎